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近時、芥川賞受賞作まとめ読み

とあるところで古雑誌の整理をし、芥川賞受賞作が掲載されている号が3冊出てきたので、掲載分5本の受賞作をまとめて読んでみた感想を備忘録的にダラダラと。。。

読んだ受賞作は

2007年受賞 川上末映子「乳と卵」

2010年受賞 朝吹真理子「きことわ」 西村賢太「苦役列車」

2011年受賞 田中慎弥「共食い」 円城塔「道化師の蝶」

の5作。

 

まず、2007年受賞 川上末映子「乳と卵」

句読点の使い方がおもしろく、それにより口語体の文体のリズムが妙でおもしろい。

村上龍が選評で「アルバート・アイラーの演奏を想起させるような~~~」と言っているが、云い得てる。

話し言葉の文体、節々が妙なリズムで畳み込んでくる。まさしく、フリージャズの演奏の様。

一見めちゃくちゃな感がするが、ものすごく心地良いリズムであり音楽的印象。
(関西弁を使うところも関係しているかも)

母と娘の関係性を軸にした小説だが、心理描写なぞは少女マンガ風。
物語も特におもしろいというわけではない。それらを求めるならば、良質な少女マンガの方が上。

しかし、文体はほんとにおもしろい。それだけで読ませる。言葉のフリージャズ

 

次、2010年受賞 朝吹真理子「きことわ」

そんなに小説を読んでいるわけではないが、もの凄く技巧が高い
5作の中では1番技術があり、かつ女性らしいおしゃれな文体

時間感覚の不思議さを書きたかったという旨のことを作者は言っていて、その描写に成功しているのか、描写(心理含む)の映像が身体性をおびて感覚するように浮かぶ。

叙情的な映像、映画にすればおもしろいと感じる。

あまりにも技術が高くうまく書かれていたからか、映像は頭に残っているが物語それ自体の印象が薄い。

マニュエル・ゴッチングの「E2-E4」が小道具として出て来るところは、ジャーマンrockファンを喜ばせる。

 

次、2010年受賞 西村賢太「苦役列車」

物語としては5作の中で1番おもしろく読めたが、自身の経験と重なる所が多々あり読んでいて少々痛かった

日払い等で食いつなぎ怠惰な生活をしたことがある者は、自分の恥部を読んでいると感じるはず。
ドキュメントのよう。

選考委員の選評でだれかが似たようなこと書いていたが、あまりにも「リアル」過ぎて小説としての救い跳躍答えがなく、それらがないのがより一掃今の「リアル」を描いており(作者の80年代のことらしいが)、読む人によっては辛く感じ、また物語に興味が湧かないかもしれない。

私小説にありがちなルサンチマン満載ではあるが、愚痴になっていないところがやはり「作品」なのだと思う。

結構、日常的には使わない古い言い回し、言葉も出て来る。

やはり自分にとっては痛い小説だ。

 

次、2011年受賞 田中慎弥「共食い」

受賞会見が話題になった作家の作品。

一読した直後の感想は、もの凄く読みやすかった。有名な文豪の作品を読んでいる感。

受賞会見の印象から勝手に想像していた小説とは違っていた。

セックスや暴力の描写が多かったが、生真面目な作家像が文体から見える気がする。

物語の構成や文体はとてもうまくまとまり5作の中では1番読みやすかったのだが、閉じた地方の川辺の描写とセックスや暴力との関係性、必然性が正直わからなかった。
要するに主題が「何」を書いているのかが自分にはわからなかった。

正直、つまらなかった。しかし、すらっと読める。

多分、「文学」としては正統な体なのだろう。

 

最後に、2011年受賞 円城塔「道化師の蝶」

選考委員の選評を読むと受賞に際し相当揉めた問題作。

簡単に言うと「何が書いてあるのかがまったくわからない作品」

田中慎弥「共食い」のように主題の「何」がわからないのでなく、物語文体言葉自体がわからず物語の起承転結さえなく(そのような形、体はある)無意味化した言葉の小説のよう。

揉めた選考会で川上弘美は

「宇宙論の三次元、四次元、五次元、六次元という譬えに引き、粒子が各次元で変化するように、言語も変化し無意味化していく小説」

と意見したらしいが、この小説を説明するのにはわかりやすいかもしれない。

個人的な言い方では

「まったく何が書いていあるのかがわからないが、それがおもしろいということはわかる小説」

という感じ。理系気質な方は知的な興奮が裏に隠されていることを感じるかもしれない。

たしかに難解で物語としても読めないので、読む人によっては退屈極まりないかもしれないが、自分は5作の中でこれが1番おもしろく推したい!

 

5作読み終わり、円城塔と西村賢太は是非他の作品も読んでみたいと思った。(川上末映子もかな・・・)

自分はあまり小説は読まないのだけれど小説は同じ物語でも、映像とは違う回路の情報が凝縮されてあるので、脳の活性化のためにたまには読まないとね。。。

自己愛型社会

「自己愛型社会―ナルシスの時代の終焉 」
を読んで1章のみ箇条メモ。
私感として、団塊世代前後から自己愛の充足を是とし、
自分の欲望、

「自己実現」

を唯一のモチベーションとして、
自分の快楽感情価値観の中心にし、社会を形成してきたかと思う。
「核家族」化はその象徴。(マイホーム購入等)
「核個人」という言葉も概念もないが(そもそも「個人」が「核」である)
そういう社会形成構造が、
「いま」
だという感慨も浮かぶ。
幼少時から、ひとり部屋を与えられ、
お店に行けば3歳の子供も「お客様」として扱われる消費社会で育った
「われわれ」
が、自己愛を至上とする価値観を抱くのも当然といえば当然であり必然の理であろう。
(ひとり部屋を与えられなくとも携帯電話の普及で「自己」、「わたし」が唯一の価値観の源泉として考える「ひと」をつくるのに加担し強化することに成る)
しかし、
「自己(わたし)」
が欲望の源泉であるのは「社会」を原因とする他に、
普遍的で人間の構造原理であるとも思われる。
(否、それしか考えられない。総ての解釈、認識は「主観」であるのだから
例 「わたしはこう思う」「わたしはこうしたい」・「わたし」という主語を抜きに解釈や欲望は語れない、思考出来ない)
同じ趣味を持つ同士で集まったり、
サブカルチャー的な細分化、島宇宙化も「自己愛」で説明できる。
(コミューン的なシェアルームで暮らす独身者の集まりも自己愛を源泉)

自己を愛するものは自分と似たものを愛す。

以下、メモ。
●自己愛型社会とは
自己愛の充足に最大限の価値えをおく社会
「自分」の欲望と快楽こそが、最大にして唯一のモチベーション
献身や他者愛という形をとる自己愛の充足方法もある
本質は「自分」が主役であることに価値をおく
(賞賛を浴びるヒーローか、せめて悲劇的なヒロイン)
●自己愛性の性質
誇大自己と理想化された親のイマーゴ(無意識的心象)
(アメリカ精神分析医コフート)
誇大自己
自分を神のように万能だと錯覚した存在
親のイマーゴ
神ようであり、自分の望みを叶えてくれる畏怖と尊敬の対象(例 幼少時の母親のよう)
満足が与えられなかったり、過剰な充足を経験すると、誇大自己、イマーゴが心に居座る

大人になっても、注目や賞賛を集める行動をとる(blog、tweet?)

誰かを過度に理想化、だれも尊敬できない

自己愛障害
自己愛型社会の基本信条
「拡大」
「発展」
「成長」
「進歩」
「向上」


万能感の追求、万能感は満足を知らない

現実感の乏しい万能感、現実と遠く隔たる

青年、大人といわれる者に、幼稚的な万能感の温存
万能感を満たすことはプラスという社会
万能感を損なわず、充足を与えられ続けてきた環境、社会
自分は「王」のような存在だと錯覚する
●躁的防衛
自分の限界や現実にひそむ危険を知ることが本来の成熟
自己愛な自分を守る為、誇大な万能感が必要、維持

どんな困難も乗り越えられるという万能感
(絶えず元気に、前向きに、将来の可能性を確信して突き進む)

不安、落ち込みからの誇大自己の防衛、カラ元気、躁的防衛(自己実現)
●誇大自己の性質、自己顕示性
誇大自己は、常に観客と賞賛者を求める
自分を実感できない

平凡な自分
安全に処理することができなかった自己顕示性は暴発を生む危険
(自分は、唯一無二な特別な存在ゆえ)
過度に理想化した幸福を追い求め、それが叶わない現実には無関心、無気力
主人公として輝きたい
●共同体
義務や責任よりも自己実現が優先されることは、共同体と個人の関係が逆転
共同体や他人は、その人の欲求充足を助けてくれるときにだけ意味を持つ存在になる
面倒ごとや他者との関係を避けるため代理的な自己愛を満たすオプションとして
「ファンタジー」
「ゲーム」
「アニメ」
「アイドル」
「ドラッグ

等が「自己対象」の代用機能を担う

自己愛を慰撫する
「自己対象」とは自己愛の僕である
没入、中毒、逃避か?(仮想現実?)
●共感性の喪失
自己愛的な存在にとって、他者とは、自分のために利用できる存在
利用価値のない存在は、存在しないに等しい、目障り
ビジネスの問題として割り切る
自分の都合と利益だけ

非共感性が対人関係を支配
●誇大さ卑小さ
自己愛
?非常に誇大、夢想的、万能感→「誇大な自己愛」
躁的防衛、大胆不敵
未来を信じ拡大発展
?卑しいくらいにこせこせ、小心、現実的、気弱→「卑小な自己愛」
ストレス過敏、自身がなくひきこもる
危険を避けて現状維持
?の挫折が?の支配を生むが、
活力や生きるための価値を失わせるため、
?による救済を希求、そして初めに戻る振り子運動
?に支配された自己愛型社会は
自分の思いどうりになる存在だけを相手にする

自分の自己愛を100%満たしてくれる存在
「自己対象」
が大きな役割を果たす
政治、経済、文化、よりもファッションや食べ物、趣味などの
卑近なものが高い重要性を持つ
自己対象
理想化、陶酔する存在でもあれば、貶したり、破壊することも出来る存在、対象
(指導者やアイドル、映画等)
卑近な自己対象が価値の基準となる自己愛型社会は
尊敬するものも信条もないため、次第に空虚を抱えることに行き着く

自己愛が満たされないので
「誇大な自己愛」への希求が始まる
●潜在的破壊性
誇大自己は、万能感的欲求や理想への期待が破れると
激しい自己愛的な怒りを覚え、破壊的な衝動に囚われる
自己対象に向かうと、愛するものを害する(ストーカー、愛憎殺人、ジョンレノンか?)
自分自身に向かうと、自己破壊的行動(自殺、自暴自棄、鬱か?)
不遇感から反社会的な行動を起こすことも
欠点、非難を受けることに過剰に反応(tweet的論争言い争い)
自殺のタイプ
?他者本意的
?自己本位的
?アノミー(無規範的)
社会の個人への解体とアノミー化が自殺を増やす(デュルケール)
●歴史
繁栄と豊かさの副産物である、自己愛型社会
充足を追及できるだけの閑暇と余力資金を手に入れた
かつては王家や貴族社会にだけ成立
オランダとアメリカに日本の自己愛社会の先例をみる
アメリカは富と繁栄のもとに成立した大衆自己愛社会の極致
拝金主義は、あらゆる歴史を通じて、自己愛型社会の「宗教」である
PS自分を省みるに、このblogも(tweetも)自己愛的自己顕示であるのは間違いない。

「SFは絵だ!」資料的メモ



 
 
第5回 日本SF評論集 選考委員特別賞受賞作
「文字のないSF―イスフェークを探して」

S-Fマガジン 2010年 06月号 掲載を読み、資料的メモ。
●序章・出発点としての野田昌宏
「SFってなァ、結局のところ絵だねェ」
「そんなドラマなンざ景色ン中へあっさり呑み込まれちまう・・・。絵だよ、残るのは――」
「頭の中に、その作品の情景が実にヴィヴィッドに浮かび上がることがあるだろう?
その逆なんだよ。イスフェークの画を見るとな、もうそのストーリーそのものが実にはっきりとわかっちゃうんだ」
野田昌宏―「お墓に青い花を」(「レモン月夜の宇宙船」収録―創元SF文庫
「SFは絵だ」という有名な言葉があるが、絶対に映像化不可能な光景を、脳内でしっかりと絵にして見せてくれるのは活字SFの醍醐味のひとつ
(SFマガジン04年12月号SF BOOKSCOPE JAPAN・風野春樹)
SFにおいては画像情報も重要であろう。
(清水のSF画廊 – サイト#1サイト#2
SFにとって絵とは何か。
活字と絵はどちらがよりSF的なのか。
SF表現において活字と絵はどのような役割分担をしているのか。
活字をどんどん減らしていった場合、絵はどこまでSFであり続けられるのか。
絵単体でSF表現を成立させることは可能なのか。
「文字のないSF」。そんなものあり得るのだろうか。
野田が夢見た、画家・イスフェーク

●第一章・「文字のないSF」とは何か

「原作もなにもない、画家のオリジナルのイマジネーション、つまり絵1枚で勝負するSFがあってもいいのではないか。~~~
そんな、表表紙などと言わないでひとつのジャンルとしてもっと栄えてもいいのではないか。」
野田昌宏―「お墓に青い花を」(「レモン月夜の宇宙船」収録―創元SF文庫)
小松崎茂 「メカニックファンタジー長岡秀星「宇宙劇場他、の画集があるくらい。
「視線とは「文化」であり、私たちの住む世界を構成するものである。」
「描くことが網膜像の再現であるどころか、すでに自らの生きている文化の中でコード化されたものであり、
さらにその描くコードが見ることさえ引摺るという事実が、みなれないものを見る経験のなかで明らかになっていった」
多木浩二「眼の隠喩」(ちくま学芸文庫)
思考の解放、想像力の復権、夢や狂気や超常現象の再検討
精神分析学や心理学はシュルレアリスムの主張を補強
シュルレアリスムとSFは非常に近い構造を持つ
明確な物語を備えた「文字のないSF」、画
●第二章・「文字のないSF」を探して
「絵だけで構成されたSF」、まず「(文字のない)絵本
安野光雅
天動説の絵本 てんがうごいていたころのはんし」(福音館書店)

ふしぎなえ」(福音館書店)

旅の絵本(1~6)」(福音館書店)
ブルーノ・ムナーリ(イタリア・後期未来派)
「ムナーリのフォーク・Le Forchette di Munari」(58)

ムナーリの機械・Le machine di Munari」(河出書房新社)

ガブリエル・バンサン(ベルギー)

アンジュール ある犬の物語・Un jour, Un chien」(BL出版)
たまご・L’oneuf」(BL出版) - 手塚治虫アニメ化を検討
マリオネット・La petite marionette」(BL出版)
リンド・ウォード(アメリカ)
狂人の太鼓・Mad Man’s Drum」(国書刊行会)
120枚の木版画で描かれる。「SFが読みたい!2003」海外部門18位。

おおきくなりすぎたくま」(ほるぷ出版)
ディヴィット・ウィーズ
セクター7・Sector7」(BL出版)

漂流物・Flotsam」(BL出版)

かようびのよる・Tuesday」(徳間書店)

メビウス(フランス/バンド・デシネの巨匠)

アルザック・ARZACH」(76)

アルザック・ラプソディ」DVDアニメ
B砂漠の40日間・40days dans le DesertB」(飛鳥新社)
映画
ループ・ピック(ドイツ映画)
「除夜の悲劇・Sylvester-Tygodie einer nacht」(24)
F・Wムルナウ
最後の人・Der letzte mann」(24)

衣笠貞乃助
「狂った一頁」(26)
ゴッドフリー・レジオ(アメリカ)

コヤニスカッツィ・Koyaanisqatsi」(82)
リュック・ベッソン(フランス)最後の戦い・Le dernier combat」(83)

ヨス・ステリング(オランダ)
イリュージョニスト・De illusionist」(83)
アートアニメ
ラウル・セルヴェ(ベルギー)
「クロモフォビア・Chromophobia」(66) – 寓話にとどまる
「OPERATION X-70」(71)
膨大な台詞を必要。
台詞が無い分かりにくさを逆手にとって幻想性を高める演出。
なぜ寓話はSFとは言えないのか。
●第三章・SFの本質は絵か文字か―マグリットの練習問題
マンガはあくまでグラフィック主体の表現と思いがちだが、実は少ない活字に強く依存している。
「文字のないマンガ」を読むと混乱する。「脳のごまかし」に気付く。
ルネ・マグリット(ベルギー)
タイトルに非常に大きな比重をかけた。
タイトルには一定の論理が働いている。その論理がマグリット以外、はっきりと分からない。
描き得ないものを描きたいというSF独特の野心に相似。
マグリットをSFたらしめているのは実はタイトル(文字or言葉)ではないだろうか。
タイトルの存在によって想像力を伸ばす方向に一定の枷がはめられ、作者の意図する特定の向きに思索が誘導される。
「共同発明 – L’invention collective」 - 共同とは誰と誰?発明?
「娯楽 – Le plaisir」 - 狂気、残酷、無垢ではなく娯楽
「大家族 – La grande famille」 - いったいどこに大家族が?
「なぜ」という問いに注目。不思議な出来事が起きた理由を「なぜ」と問うのがSF。
「ロゴスとは単なる論理ではなく、ことばの論理、言葉の秩序、言割り(ことわり)なのである。」
中村雄二郎―「共通感覚論」(岩波現代文庫)
「イメージの裏切り – Latrahison des images」 - これはパイプではない。
「二つの神秘 – Les deux myste`res」 - マグリットの絵に過ぎない。これはパイプではない。
文字と絵画の関係・人間のイメージ認識の癖。
「それはマグリットがひそかにつくりあげ、ついで注意深く解体したカリグラム」
「相似と断言を分離できない。」
ミシェル・フーコー「これはパイプではない」―(「フーコーコレクション3」ちくま学芸文庫)
カリグラムとは?「活字または手書きの字が作る形が重要な位置を占める詩形のこと」
参考小説 夢枕獏「カエルの死」―(「遙かなる巨神」収録 創元SF文庫)
「夢の鍵 – La cle` des songes」
卵→アカシア 靴→月 帽子→雪 蝋燭→天井 コップ→雷雨 ハンマー→砂漠
SFとは、現実からなにがしの要素をずらした新しい法則で世界を再構築することで成り立つ表現形式。
強烈な異質感を持たせる。
●第四章・ショーン・タンの到着―「アライバル」への道
「文字のないSF」といえる物語を作り上げることに成功した作家
ショーン・タン(オーストラリア)
http://www.shauntan.net

初期作画のみ

「ビューアー – The Viewer」(97)
「ラビット – The Rabbits」(98)
「メモリアル – The Memorial」(98)
ストーリーと作画

レッド・ツリー – The red tree」(01今人舎) - 代表作
「幽霊のいる運動場 – The Haunted Playground」(97)
「落し物 – The Lost Thing」(99)








「アライバル – The Arrival」(06)
07年世界幻想文学大賞 最優秀アーチスト部門受賞
08年フランス・アングレーム国際コミックフェティバル最優秀賞
08年ヒューゴ賞 アート作品ノミネート
移民たちが途方にくれていた異文化との遭遇の中に、SF的想像力が潜んでいる。

●終章・イスフェークは実在する

「文字のないSF」は見果てぬ夢か。
SFは、すでに完成されたいくつかの「型」を持つ。
その「型」に当てはめて読むことができる作品があるならば、「型」と作品のズレから新しいSFが生まれていく。
絵本等、埋もれた作品を強く発掘し「型」を発見していくこと、これにより「文字のないSF」は徐々にジャンルとして確立されていくはず。
イスフェークのフルネーム
I・T・ISFAKE
That is a FAKE!

評論「文字のないSF―イスフェークを探して」掲載誌



 

寝ながら学べる構造主義のプチレポート

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)を読んだ時のプチリポートが出て来たので、メモとしてUPしておく候。
●「存在すること」
とは与えられた状況の中でじっと静止しており、自然的、事物的な存在者という立場に甘んじること。
静止していることは「堕落すること、禽獣となること」である。
ヘーゲル→マルクス 受け継ぐ。
大切なのは「自分のありのままにある」に満足することでなく、
「命がけの跳躍」を試みて、
「自分がそうありたいと願うものになること」である。
ヘーゲルの人間学(マルクス主義→実存主義→構造主義 ヨーロッパ思想に一貫して伏流)
「自己意識」
俯瞰な視座から、自分の周辺の事態を一望すること。
「他者」の視線になって「自」を振り返る。
想像的に確保された「私」からの距離が高いほど、自己認識の正確さを保証。
ポジショニング
「人間はかれによって創造された世界の中で自己自身を直感する」
「労働するものだけが、『私は』ということばを口にすることができる」
主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、
主体の「行動」のうちにある。
他者との関わりのなかに達成。
生産=労働関係のネットワークの中での「ふるまい」を通じて、事後的に知る。
●フロイト 無意識
「患者本人が意識することを忌避している、無意識的な過程」
抑圧
「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化できない
功利主義
自然状態にある人間は、当然ながら、それぞれが自己保存という純粋に利己的な動機によって行動。
自然権行使→絶えざる戦闘状態(バトル・ロワイヤル)

自分の生命財産を安定的に確保することはきわめて困難

圧倒的強者を除き、ほとんどの個人が所期の自己保存、自己実現の望みを絶たれる

自然権行使の全面的承認は、自然権の行使を不可能にするという背理が生じる
故に、社会契約に基づき創設された国家に自然権の一部を委ねるほうが、私利私欲の達成が確実
功利主義者によって想像
利己主義→利他主義 な皮肉
「なすべきこと」「してはいけないこと」という善悪の規範が成立
●ニーチェ
「ナチュラル」と思われる価値判断や審美的判断を、歴史的に形成された偏見や予断であるとしない見方。
普遍的に妥当だと信じ込んでいる。
自分が「何ものである」か、どんな仕方で「思考している」のかを知らない愚物。
「隣の人と同じようにふるまう」ことを最優先に配慮するようにして成り立つ社会→大衆社会
非主体的な群衆→畜群
相互参照的に隣人を模倣、集団が限りなく均質的になることに喜びを感じる→奴隷
超人思想
過去のある時代における社会的感受性や身体感覚のようなものは、
「いま」を基準にしては把持できない、
過去や異邦の経験を内側から生きるためには、緻密で徹底的な資料的基礎付けと、
大胆な想像力と知性が必要
●ソシュール
ある観念があらかじめ存在し、それに名前がつくのではなく、名前がつくことで、
ある観念が私たちの思考の中に存在するようになる。
言葉が出来、概念が生成する
(アメリカ人は肩がこらない{肩が凝るという言葉が無い})
私が語っているときに私の中で語っているものは、そのかなりの部分が
「他人のことば」だとみなして大過ない
「私」という主体を中心にして回る、「私」が外部に働きかけてデータを集め表出するという考えが、西洋の中枢

自己中心主義
「一般言語学講座」
●フーコー
時代や地域に関わり無く、いつでもどこでも基本的には「同一的」なものと人は信じている。
しかし、すべての社会制度は、過去のある時点に、いくつかの歴史的ファクターの複合的な効果として「誕生」したもので
それ以前には存在しなかった。
「いま・ここ・私」→一直線に「進化」してきた過程として捉えている

これを歴史の進化の最高到達点、必然的な帰着点とみなす考えを「人間主義」(自我中心主義)
「いま・ここ・私」というのは、歴史の無数の転轍点において、
ある方向が「たまたま」選ばれたことによって出現したものに過ぎない。
(都合のよいところだけを選ぶ、取捨選択)
狂人→近代社会での「人間」標準になじまないもの→「何であるかが解った」(医療)→「大監禁時代」
「理性」による狂気の排除
「ソフトな隔離」への以降。医療と政治の結託、「知の権力」の結託
身体もまた「意味によって編まれた」社会制度
「歩く」動作なども、固有の歴史的・場所的条件に規定されて「歴史化」されている
(明治時代はナンバ歩行だった、明治以降虚勢)
「政治的身体」は生理的・物理的な実体である身体とは別の水準に確固として存在
政治権力が臣民をコントロールしようとするとき、
国民の身体を統御し、標準化し、操作可能な「管理しやすい様態」におく、
「従順な身体」を造型することを最優先にする
「既成秩序への反逆の意識、自分が秩序紊乱者でsることの自覚、
現状を憂い未来を呼び求める熱情。
権力に抗して語ること、真実を述べること、享楽を約束すること、
啓蒙と解放と肉の快楽を一つに結びつけること、
知への熱情と掟を変えんとする意志と夢見られた愉悦の楽園とが一つになった言説を語ること、
これらが、おそらく性を抑圧の語法で語ろうとする私たちの熱情を内側から支えている」
「これらの性行動のすべてをカタログ化し、一覧的に位置づける。
あらゆる性行動を無秩序に列挙しているように見せかけながら、
実はそれらを現実のうちに整序し、個人のうちに統合すること」
●バルト
「記号」→「あるしるしが、何かを意味すること」→「紳士用」という文字→人為的な取りきめ
如何なる社会的、自然的な結びつきもない
人為的につくられた「しるし」を
「意味するもの」シニフィアン
「意味されるもの」シニフィエ

「記号」
「兆候」→「黒雲」と「嵐」→自然的な因果関係→人間の制度が介在する余地がない
「象徴」→「てんびん」と「裁きの公正」→現実的な連想
言語の「不可視の規則」
?「ラング」国語
?「スティル」文体・個人的好み
?「エクリチュール」ことばづかい・集団的に選択され実践される「好み」(『ぼく』から『俺』)
テクストが「そのテクストを読むことができる主体」へと形成する
テクストと読者の、お互いを基礎づけ合い、お互いを深め合う、双方向的なダイナミズム、「絡み合い」の構造
「テクスト」が生成するプロセスにはそもそも
「起源=初期条件」というものが存在しない(作品等)

テクスチャー
わたしの言葉は、そもそもわたしの言葉なのか→エクリチュールの零度への夢
願望も禁止も命令も判断も、語り手の主観の介入を完全に欠く
ヨーロッパの言語・「欲情する言語」
俳句・自制するものの前にのみこそ真の美的価値を開示

意味を与えて、解釈に決着をつけることへのきびしい抑制→「言語を中断させること」
●レヴィ=ストロース
「実存する」と言う動詞は語義的には「外に―立つ」
自己の存立根拠の足場を「自己の内部」にではなく、
「自己の外部」に「立つ」

サルトル、実存主義
主体は与えられた状況の中での決断を通じて自己形成を果たす
「未開人の思考」と「文明人の思考」の違いは発展段階の差ではなく、
そもそも「別の思考」

「その『我思う』の虜囚」実存主義に筆誅を加えた
未開から文明へ、停滞から革命へと進む、単線的な歴史プロセスの上で
すべての人間的営みの「正否」を判定する傲慢は許されない。
「閉じられた社会」とこれまでよばれてきたものに固有の狭隘さを示す
二項対立の組み合わせを重ねてゆくことによって無数の
「異なった状態」を表現することができる音韻論(0/1二進法)
あらゆる家族集団は、必ずどちらかの選択肢を選ぶ
父ー子/伯叔父ー甥の場合
(0)父と息子は親密だが、甥と母方のおじさんは疎遠である。
(1)甥と母方のおじさんは親密だが、父と息子は疎遠である。
夫ー婦/兄弟ー姉妹の場合
(0)夫と妻は親密だが、妻とその兄弟は疎遠である。
(1)妻とその兄弟は親密だが、夫婦は疎遠である。

この構造は考えうる限り、存在しうる限り最も単純な親族構造である。親族の基本単位である。
兄弟姉妹、夫婦、親子がそこに含まれていなければいけない
人間が社会構造を作り出すのではなく、社会構造が人間を作り出す。
親族構造は端的に「近親相姦を禁止するため」に存在する
近親相姦が禁止されるのは「女のコミュニケーション」を推進する為

「存在し続ける」ため

「反対給付」によってしか均衡を回復されない
「お返し」をしないと気がすまない
「贈与」

社会は同一状態にとどまらない(滅ばない)

変化

もうひとつの理由
「人間は自分が欲しいものは他人から与えられるという仕方でしか手に入れることができない」
3つの水準でコミュニケーション
?財貨サービスの交換(経済活動)
?メッセージの交換(言語活動)
?女の交換(親族制度)
●ラカン
原始的不調和(統一性を欠いた身体感覚、根源的な無能感、つまり不快感)
「寸断された身体」(妄想、幻覚、悪夢)

鏡像段階(統一的な視覚像)

子供は「私」を手に入れる

ある種の自己同一化として、つまり、主体がある像を引き受けるとき
主体の内部に生じる変容として、理解(自我)

始原的な型の中に身を投じる

「私でないもの」を「私」と「見立てる」
ことによって「私」を形成するという虚構を抱え込む
「私」の原点は「私の内部」にはない
ある種の狂気
被分析者(患者)の語ることばには「核」があります。
ただし、物語の「核」とは必ずしも「真実」のことではない

聞き手(医者)に自分が何ものであるかを知ってもらい、理解してもらい、承認してもらえそう
だと希望するので、語る(過去を)

「無意識の部屋」

記憶とはたしかな「実体」ではない。
それはつねに「思い出されながら形成されている過去」である

被分析者の語る物語の奥底に存する「根源的な疎外」
治療を進行、取り除くのではなく「聞く」(物語を語る、創る?)
被分析者の「満たされなさ」を核としていく生成展開する

真実は問わない

症状は患者のなかにわだかまる「作品」として表出(病む)
「自我」→「言葉の核」
主体が「私」として語っているとき、そのつど構造的に主体による自己規定、自己定位の言葉から逃れ去るもの、
それゆえ言葉を語ることを動機づけるもの
「私」
相手のいる対話の中で
「私は・・・である」
という言い方で自己同一化を果たす主体
「主体」→「自我」「私」は主体の二つの極
二つの距離をできるだけ縮小することに全力する(外的な私と意識しない内的な私?)
他者とことばを共有し、物語を共作すること。それが人間の人間性の根本条件。
「社会化」プロセス→「エディプス」

「父性の威嚇的介入」

「記号による世界の分節」(近親相姦の禁止)

この世界は「すでに」分節されており、自分は言語を用いる限り、
それに従う他無い、という「世界に遅れて到着した」ことへの自覚を刻む

「不条理」
世界をあらかじめ差異化しているという「真理」を学習

「大人」
(怖いものに屈服する能力を身に着ける)
「私」の自己実現と自己認識が「うまくゆかない」場合の「原因」に擬されるものは
すべて「父」と呼ぶことが可能。

「父」の干渉によって、「うまくゆかない」ことの説明を果たした気にねれるような
心理構造を刷り込まれることを「成熟」と呼ぶ
「鏡像段階」と「エディプス」の2度の自己欺瞞をうまくやりおおせたものが
「正常な大人」「人間」という。(概念)
精神分析の場合、普通はエディプスの通過に失敗している
(鏡像段階を通過していないと「私」がそもそもない)
「自分についての物語」を
「父」と共作し、「父」に承認してもらう
コミュニケーションの不調を、コミュニケーション回路可能に戻す
「物語を共有すること」
レヴィ=ストロース → みんな仲良くしようね
バルト → 「ことばづかいで人は決まる」
ラカン → 「大人になれよ」
フーコー → 「私はバカが嫌いだ」

仏陀の公式

「ブッダ論理学五つの難問」がおもしろい。
平易な文で読みやすく論証もおもしろい。
まだ、読みかけだがメモ的に。
本書はブッダの教説が現代論理学を超えた、
ブッダ(釈迦)の論理に拠って表されていることを、
現代論理学とそれを超えたブッダ論理学!?に拠って論証する書です。
仏教の教説である
十二因縁(縁起)
を説くときに四つの形式を基本としてよく説かれる。

「ブッダの公式(メタ論理の式)」
?これがあるときかれがある。
?これが生ずるからかれが生ずる。
?これがないときかれがない。
?これが滅するからかれが滅する。

●●● 思考過程 ●●●
「かれ」
に結果、知りたいものをいれる

「これ」
に入る原因を探す
「それがどんな結果を生むだろう」
とこれから(未来)先のことを考えるより、
「それはどんな原因から生じたのか」
とさかのぼって原因を考える方が確かな解答を得る。
●●● 因果関係確定論証 ●●●
「原因」「結果」に入るものを推定

因果関係発見のため
?これがあるときかれがある
へ代入

因果関係確定のため
?これがないときかれがない
へ代入

因果関係確定
(??は??に該当)
P≡Q(Pならば、そしてその時に限ってQ)
の真理表を念頭に置いている可能性大。
具体的な形式として示すことが可能になる。

「感受作用があるとき渇愛がある」?
「感受作用がないとき渇愛はない」?
●●● 自説 ●●●
時間軸を逆にしても縁起は成り立つ。か?
「これ」
未来望みを入れる。原因

「かれ」
現在を入れる。結果が導かれる。知りたいもの
「未来があるとき現在はある」?
「未来がないとき現在はない」?
∴ 「未来」を原因にして「現在」を結果にする

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Illegitimate Son
Of
a Rock n’ Roll star.

Roll on, roll on,
Maggie M’Gill.

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