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近時、芥川賞受賞作まとめ読み

とあるところで古雑誌の整理をし、芥川賞受賞作が掲載されている号が3冊出てきたので、掲載分5本の受賞作をまとめて読んでみた感想を備忘録的にダラダラと。。。

読んだ受賞作は

2007年受賞 川上末映子「乳と卵」

2010年受賞 朝吹真理子「きことわ」 西村賢太「苦役列車」

2011年受賞 田中慎弥「共食い」 円城塔「道化師の蝶」

の5作。

 

まず、2007年受賞 川上末映子「乳と卵」

句読点の使い方がおもしろく、それにより口語体の文体のリズムが妙でおもしろい。

村上龍が選評で「アルバート・アイラーの演奏を想起させるような~~~」と言っているが、云い得てる。

話し言葉の文体、節々が妙なリズムで畳み込んでくる。まさしく、フリージャズの演奏の様。

一見めちゃくちゃな感がするが、ものすごく心地良いリズムであり音楽的印象。
(関西弁を使うところも関係しているかも)

母と娘の関係性を軸にした小説だが、心理描写なぞは少女マンガ風。
物語も特におもしろいというわけではない。それらを求めるならば、良質な少女マンガの方が上。

しかし、文体はほんとにおもしろい。それだけで読ませる。言葉のフリージャズ

 

次、2010年受賞 朝吹真理子「きことわ」

そんなに小説を読んでいるわけではないが、もの凄く技巧が高い
5作の中では1番技術があり、かつ女性らしいおしゃれな文体

時間感覚の不思議さを書きたかったという旨のことを作者は言っていて、その描写に成功しているのか、描写(心理含む)の映像が身体性をおびて感覚するように浮かぶ。

叙情的な映像、映画にすればおもしろいと感じる。

あまりにも技術が高くうまく書かれていたからか、映像は頭に残っているが物語それ自体の印象が薄い。

マニュエル・ゴッチングの「E2-E4」が小道具として出て来るところは、ジャーマンrockファンを喜ばせる。

 

次、2010年受賞 西村賢太「苦役列車」

物語としては5作の中で1番おもしろく読めたが、自身の経験と重なる所が多々あり読んでいて少々痛かった

日払い等で食いつなぎ怠惰な生活をしたことがある者は、自分の恥部を読んでいると感じるはず。
ドキュメントのよう。

選考委員の選評でだれかが似たようなこと書いていたが、あまりにも「リアル」過ぎて小説としての救い跳躍答えがなく、それらがないのがより一掃今の「リアル」を描いており(作者の80年代のことらしいが)、読む人によっては辛く感じ、また物語に興味が湧かないかもしれない。

私小説にありがちなルサンチマン満載ではあるが、愚痴になっていないところがやはり「作品」なのだと思う。

結構、日常的には使わない古い言い回し、言葉も出て来る。

やはり自分にとっては痛い小説だ。

 

次、2011年受賞 田中慎弥「共食い」

受賞会見が話題になった作家の作品。

一読した直後の感想は、もの凄く読みやすかった。有名な文豪の作品を読んでいる感。

受賞会見の印象から勝手に想像していた小説とは違っていた。

セックスや暴力の描写が多かったが、生真面目な作家像が文体から見える気がする。

物語の構成や文体はとてもうまくまとまり5作の中では1番読みやすかったのだが、閉じた地方の川辺の描写とセックスや暴力との関係性、必然性が正直わからなかった。
要するに主題が「何」を書いているのかが自分にはわからなかった。

正直、つまらなかった。しかし、すらっと読める。

多分、「文学」としては正統な体なのだろう。

 

最後に、2011年受賞 円城塔「道化師の蝶」

選考委員の選評を読むと受賞に際し相当揉めた問題作。

簡単に言うと「何が書いてあるのかがまったくわからない作品」

田中慎弥「共食い」のように主題の「何」がわからないのでなく、物語文体言葉自体がわからず物語の起承転結さえなく(そのような形、体はある)無意味化した言葉の小説のよう。

揉めた選考会で川上弘美は

「宇宙論の三次元、四次元、五次元、六次元という譬えに引き、粒子が各次元で変化するように、言語も変化し無意味化していく小説」

と意見したらしいが、この小説を説明するのにはわかりやすいかもしれない。

個人的な言い方では

「まったく何が書いていあるのかがわからないが、それがおもしろいということはわかる小説」

という感じ。理系気質な方は知的な興奮が裏に隠されていることを感じるかもしれない。

たしかに難解で物語としても読めないので、読む人によっては退屈極まりないかもしれないが、自分は5作の中でこれが1番おもしろく推したい!

 

5作読み終わり、円城塔と西村賢太は是非他の作品も読んでみたいと思った。(川上末映子もかな・・・)

自分はあまり小説は読まないのだけれど小説は同じ物語でも、映像とは違う回路の情報が凝縮されてあるので、脳の活性化のためにたまには読まないとね。。。

新作Tシャツ★美の記号の取捨・モザイク化 – フェルメールの【真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)】

名画をモザイク化して私達が「美しい」と感じる、その感性、そのものにスポットを当て、
いかにして私達は視覚と美的感覚を働かせ感覚及び認知をしているのか?
また、名画を「美しい」と感じる記号はあるのか、そしてそれを抽出は出来るのか?
という私的な考察の為の実験的なデザイン?シリーズの第一弾

美の記号の取捨・モザイク化 – フェルメールの【真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)】

を発表致します。

以前、デザインした

【福島第一原発1号機放射線ガンマビュー】
【福島第一原発 1万ミリシーベル超の放射線 ガンマビュー】

の2点から、モザイクのおもしろさに興味を持ち、
視覚的な美しさやおもしろさを感じる原理性記号性「名画」にそして「ひと」にはあるのではないか?と疑念し、あるとしたら、
そのデジタルな反応(反射)に関わらず私達は「美しい」と観念してしまうその恣意的な構築性と、
名画から取捨したモザイクというデジタルで数値化した色彩情報の、元の像との似て非なるものへの「美」記号的な発見、抽出、
そしてそれを観賞した者の身体反応(感性)を考察してみたくデザインしてみました。

このモザイク化したフェルメールの【真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)】は
青いターバンの少女ようで青いターバンの少女ではないのは明らかで、
青いターバンの少女の色彩記号をデジタル(1部アナログ)に取捨した配列表のようなものであり、
本物の青いターバンの少女にはほど遠い簡易な視覚情報であるが、
青いターバンの少女の原画を知っている者には、このデジタルな色彩配列が青いターバンの少女以外としては認知出来ず、
また、本物の青いターバンの少女を見ているような感慨が少なからず発生、反射してしまうのが観察出来る。

只の四角いピクセルに反応してしまうこの感慨、
私達が「美」と感じる視角認知は正当でオリジナルな感性なのか?
そもそも「感性」とは一体なに?
という考察の為の実験的なデザインです。

とは云え、単なる名画をモザイク化したものと云えばそうなので、フェルメールのパロディTシャツとして着ていただければそれだけで嬉しいです!
(グラフィック的な美しさの為、意図的(アナログ)に原画の色彩と変えているところも多数)
遠くからTシャツを眺めると青いターバンの少女、そのものに見えるというインチキさを楽しんで下さい(笑

今回のシリーズはフェルメールの【真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)】を入れて全5作!
今後は

ダ・ヴィンチの【モナ・リザ( Mona Lisa)】
ウォーホルの【マリリン・モンロー(Marilyn)】
クリムトの【アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像】
菱川 師宣の【見返り美人図】

を順次、発表してまいります!
ドロップシッピング販売会社はいつもの

UP-SOLD

T-SHIRTS TRINITY

Oh Yeah!

ZAZZLE

の4社にて取り扱いしております。
宜しくお願い致します!

——- TシャツPAGE ・DESIGNコメント ——-

美の記号の取捨・モザイク化 – フェルメールの【真珠の耳飾りの少女】
Rejection or adoption of a symbol of beauty. Pixelization Vermeer’s “The Girl With The Pearl Earring”

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)は、17世紀にオランダで活躍した画家。

デザインはそのフェルメールの【真珠の耳飾りの少女(The Girl With The Pearl Earring・Het meisje met de parel)】、別名【青いターバンの少女】をモザイク化(pixelization)したもの。

【真珠の耳飾りの少女】は「オランダのモナ・リザ」と言われ、フェルメールの絵画の代表作であり、少女の官能性が人々を魅了している。

この名画のモザイク化・Mosaic(Pixelization・ピクセル化)したデザインは私達の「視覚」または、「美覚?」は記号の取捨による、脳内での物語性の構築ではないか?という疑問をデザインにより視覚化、モザイク化し、名画とは似て非なる、その画像と共に、未だに名画を鑑賞した時のような美的感覚が発生するのか?という実験でもあり、恣意的な物語性の構築、捏造の追体験でもある。

また、原画の色彩情報をデジタルな数値化を施しモザイク化(取捨)することにより、逆説的にそのデジタル記号(ピクセル)の配列に名画の美しさの「本質」が観察出来るかと考える。

美の記号の取捨・モザイク化シリーズ全5作のなかで、モザイクの美しさが1番表現されている。
フェルメールの作品は鑑賞者に解釈の自由を与えないほど、描きたいものを「数式」のように明確に表現されている、と考える。「明確」故、モザイク化、「記号」化をしても、その「美」しさの劣化はない。
また、背景が「黒」なのもモザイク化には適する。「黒」は「0」に、「色」は「1」に、容易に変換出来るからである。

私達が抱く
「美」
とは何か?

UP-SOLD

T-SHIRTS TRINITY

Oh Yeah!

ZAZZLE

Tシャツ等のご要望を頂けば出来るかぎりお応えいたしますので、
どんな細かいことでもいいですから(サイズ、カラー、デザイン等のご要望)
Twitter・@maggiemgiil_com
へのメンションなり
CONTACT PAGEinfo@maggiemgill.com
へお気軽にお声をお聞かせ下さい!!

A Happy? New Year

 

 

新年、明けましておめでとうございます。

本年も

“Maggie M’Gill” with Masateru

“Mushroom cloud of the MAN” with けいかみえいち

をよろしくお願い致します!!

 

昨年は震災があり「国」「社会」だけでなく「自身」の環境でも覇気のない見えない不安に苛まれた年で、

創作意欲も減退した年でした。

「今年こそは辰年‐Year of the Dragonにちなみ飛躍を!」

と、ここで元気よく言いたいところですが正直、明るい兆しが見えるのはまだまだ先だと思っています。

個人的な事象と震災等が悪い意味でシンクロしてまだ落ち込んでいるという、

卑小な気持ちのせいもありますが、

「今」「日常」からの「体感」「情報」から推察する「現実」的な「直感」みたいなものからです。

 

ですので、ここ数年はTシャツ等の「創作」だけでなく「生活」も含め、

「わたし」というものを生きるにつき、

石橋を叩くような慎重さと遅さで、手探りかつ迅速に、

大胆不敵ではなくコツコツと行こうと思っている次第であります。

 

非常にネガティブで後ろ向きな新年のあいさつで申し訳なく思いますが、

自論として、とにかく成功しようが失敗しようが、ある事象に対して、

その時に「良し(殺人だろうと)と自分で判断することしか

「ひと」は判断し行動することが出来ない原理性を持ち、

生きているということはその「良し」軌跡であり、

そもそもネガティブも後ろ向きもなく単に「未来」へと「今」「過去」にしていると思うわけです。

NEVER NO FUTURE

です。「未来」がないということは「生きている」という時間軸では有り得ないのです。

これは終身刑のひとでもそうです。

その意味に於いて「生きる」ということはそもそも「残酷」なことです。

しかし、その残酷さは「平等」でもあります。どんな状況でも「未来」はあるからです。

(こういう話はクドクド永くなるのでこのへんでw)

 

ですので、今年は活動へのビジョンはまったくありません。

もしかしたら、怒涛のリリースラッシュになったり、新作一切なしということも有り得ます。

しかし、「良し」と判断し行動することしか出来ませんので

「良し」

なこととなっている年、「未来」で有るはずです。

(失敗しても、次も「良し」の判断しか出来ないので)

 

少し、辛気臭くなりましたがとにかく

本年も

“Maggie M’Gill” with Masateru

“Mushroom cloud of the MAN” with けいかみえいち

をよろしくお願い致します!!

Twitter、iPhoneとかヤンキーとか

 

最近、blogはUPしていないし暇だったので、最近感じたことを箇条的につぶやいてみます。。。

 

個々のTwitterをまとめリストにする

Togetter http://togetter.com/

で、炎上系まとめリストをダラ見。

Twitterも2ch化しつつある感。そもそも、Togetterも2chっぽいし。

リプライして著名人にツッコム気もわからないでもないが、2chもそうだが根底にルサンチマン自己顕示欲を感じる。(自身にもそう感じる)

真面目に討論してみても結局、暇つぶし、その時だけの優越を得たいだけのよう。

「ネット住人」の域を出ない卑小さ。

 

TwitterのTLでRT、QTされないが、自身のつぶやきや情報のパクリっぽいフォロアー(リスト含め)のtweetを見かける。

そこに情報の共有と自己顕示の関係を観る。

Twitter等のSNSに限らず、インターネット、情報送信・発信の促進は、情報取得の速さは競うが情報の希少さ、特異さは無くなる。

つまり、情報の共有化、シェア化

そして、Twitter等のSNSにより、情報取得の速さも無くなりつつあろう。否が応にも、皆と同じ情報を得てしまう。

しかし、Twitter等のSNSでは、その情報取得の速さを顕示するかのようにtweetする(したくなる)心理が働く。(まだまだ速さに価値があるのだろう)

「自己」を「顕示」したければ、本来は情報をclosedした方が情報の希少さ、特異さは高まり「自己」の評価も上がると思うが、SNSでは我先にとなり、瞬時にその情報の希少さ、特異さが無くなり、「自己」と小数しか知らない情報では無くなる。

この矛盾は社会学的に見ればおもしろい意味合いが含まれる。

 

三池 崇史監督の十三人の刺客にハマリ、クローズ1・2も観る。

男(オス)しか持ち得ない「暴力」「ロマンティズム」を汗臭く、緊張感に溢れテンションの高い描写で描く、武骨な3本。

女だったら即妊娠してしまうような、濃厚なスペルマを掻けるかのよう。

3本総てに出演している山田孝之の演技が、テンション張り詰めていて最高。

一命も期待。(海老蔵は多分鼻血もの)

ヤンキー流れで品川庄司の品川監督、ドロップも観る。

期待しないで観たが、喧嘩だけにスポットしない、ビーバップハイスクール的な物語展開が良く、おもしろい。(色々エピソード詰めすぎて、途中ダレルが)

水嶋ヒロが何気に良い。。。

クローズとドロップが売れ(よく行くレンタル屋では未だに平置き)ちょっとした「ヤンキー」ブームと云われたりするが、わかる気もする。

世の中はiPhone4Sを欲しがる人ばかりではない。(俺の周りにはスマホを持っている奴がほとんどいない)

 

世の中はiPhone4Sを欲しがる人ばかりではない、と書いたが自身は最近iPhone3Gを入手。

ソフトバンクのiPhone4S無償交換した弟から、要らなくなった3Gを譲り受ける。

3Gなので4Sと比べると色々と出来ないことはあるが、「iPhone」のPhoneを抜いた「iPod」機能を使え経験することは結構大きい。

「App」という機能、概念性はやはり特質。

スマホでAppを使うことにより、辞書機能も「遊び」になる。

自身は音楽系Appで遊んだりすることが多いが、英単語の学習をAppですると苦にならなかったりする心理が働くことに驚く。

音楽を聴きながらAppで学習、なんていうことを通勤電車の中で出来る感覚は、やはり新鮮。

iPhoneのハード自体が持つ、気軽さ、大きさ、軽さも絶妙であろう。

しかし、当たり前だが、ハードもAppも慣れると「普通」になるところがまた驚く。生活を変えるとはこのことか?(携帯電話が変えた生活とは違う次元、概念)

個人的にはポッドキャストが良い。ラジオの良さを再認識。

自分はdocomoキャリアなのでアンドロイド系のスマホ及びタブレットをチェックしてみたが、微妙に違う、なんかイライラした。

理由はよくわからないが身体的感覚で拒絶反応が出る。iPhoneびいきの偏見で思い過ごしではないと思う。

 

実はNON BRAND名義とMaggieM’gill名義の新作デザインが幾つかあるが、思うところあって発表していない。

デザインに関して感慨があるのではなく、個人的な心情が原因。

まあ、たいした理由ではないので、近い内に発表しよう。。。

消費活動としてのTシャツインディーズブランド

1新作Tee、プリント屋に発注して、ライブハウス1公演レンタル分とほぼ同等なコストと思う。

アマチュアバンドetcの活動は、すべてがプロになれるわけではなく、またプロを望んでいるわけでもなく、非日常的なイベント(祭り)として楽しむ在り方もある。(最近はDJイベントかも)

その一夜限りのワンナイトパーティーなライブ活動は、レジャー的な消費活動とも云える。(皮肉でなく)

 

中国製の日本メーカー安価無地Tシャツに、オリジナルプリントをして販売するインディーズブランド。

生活費を除いた所得をオリジナルTシャツプリントの経費とする。

インディーズブランドの活動は、すべてのブランドがTシャツで食えるわけではないが、非日常的なイベント、趣味として割り切り楽しむブランドさんはあまりいない、と思う。

 

バンド(DJ)と比べ、イベント(祭り)が少なく、在庫を抱え、イベント(祭り)が主でなく、「商品」が主になるからだと思う。

ファン(お客様)とのコミュニケーションは商品を介した「商売」で必然的に繋がる。

 

バンド 「ノっているかい!?イエー」

ファン 「イエー」

の、ファンが返す「イエー」は、Tシャツを購入してくれることに代替する。

 

新作Teeを出して、それなりにペイし、その売り上げから次の新作Teeを発表することが出来る、ということはファンが「イエー」と返しライブが盛り上がっているということ。

しかし、Tシャツが売れないブランドはイベント(祭り)を提供出来なくなる。

在庫が増えるということは資金が回らないということと、単にライブが盛り上がっていないということ。

 

ここ数年Tシャツインディーズブランドと標榜して活動してきたが、

自身も含め「Tシャツインディーズブランド」とはレジャー的な消費活動(創作活動と言っても構わない、概念性は結局主観であり自由)と捉えたほうが正確だと思う。

レジャーは遊興費である。遊興費は、「余裕」

この「余裕」がブランドさん、お客さんにもあったので「商売」としては成り立たなくとも継続出来ていたところがあったと思う。

また、中国製の日本メーカー安価無地Tシャツを個人で利用出来る構造的な経済的恩恵もある。

(中国製だと何故安いのか?安くなかったらそもそも個人でブランドなんか出来ない)

 

しかし、レジャー的な消費活動として継続、もしくは今からTシャツインディーズブランドを始める人は少なくなっていく気がする。

(当ブランドもTシャツはドロップシッピングに移行)

もしかしたら、インディーズブランドTeeを購入する人も少なくなる気もする。

 

結局、経済的なことを源泉としてどんな活動も行われるというオチ。

「商売」として回るブランドだけ残る。

そうなると「インディーズ」もくそもない、単なる自営業である。

「Tシャツインディーズブランド」としてのカテゴリーはつまらなくなる気がする。

(ローコストローリターンでやりたいことを継続することを、主軸に於く方法論、活動へのシフトが当ブランドの意向。本来、「インディーズ」とはそういうもの。)

 

体感的な直感だけれども、震災後から確実に「余裕」がなくなりつつある。

エネルギーの問題だけでなく、確実にパラダイムシフトは始まっている気がする。

(エネルギーの問題は環境だけではない、確実に仕事は減る)

 

 
PS 震災後、要らない物は要らないという当たり前のことが起きつつある。Tシャツなんかホント要らない、という自虐観が頭もたげる。また、余裕無き日常に潰される恐れも無きにしも非ず。

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INFORMATION

Illegitimate Son
Of
a Rock n’ Roll star.

Roll on, roll on,
Maggie M’Gill.

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