予定していた、イベントの2つが終わったので、
少し余裕が出てきて、最近、本を読んだのでご紹介。
ご紹介の本は、初版が約2年前になりますが
下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫) 著−内田 樹です。
その当時、
下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)という新書がベストセラーになり、
「下流」
という言葉が世間一般に流布し始め流行ったと記憶しているんだけど、
多分その当時の
下流ブーム
の一環、一企画として書かれた本だとは思うだけど、
自分としては、どちらかというと(否、確実に!)
「下流」の人間であって、卑下はしていなくても、どうにかしたい(特に収入)という思いがあり、
下流
ということに以前から興味があり、本屋で軽く立ち読みしたら、
ニートがIT長者を支持する理由
という論考があり、これにググっと惹かれて即、購入してしまいました(笑
下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)は基本的にデータに元ずく
「下流」
と階層付けられる
「ヒト」
の出現、定義付けに終止した、「下流」階層の「ヒト」達への初めての警鐘本だったと思うが、
いかんせんレポートのような構成が、
「下流」に巣くう本人自身としては恐怖心を煽られるが、警鐘としての回答としてはイマイチ、ピンと来なかった。
これが現実ですよ!!
と見せられて終わりみたいな。
本書は基本的に最近の学校事情に於ける、授業を聞かない生徒や、学びもしないし働きもしないニートといわれる子供達、
「ヒト」の考察を著したものですが、
これが非常に鋭い!!
といいますか、自分には授業放棄生徒、ニートの考察がまんま、ある
「世代」
すべてを説明していると読めるのです。
この「世代」の定義は1960年以降に出生した者すべてと云っても過言ではないと思います。
もちろん、ワタクシ、Masateruも含みます。
その点が前出の下流本とは違う、「下流」考察本になっております。
論としては授業放棄生徒、ニートが何故、学ばず働かないかと云うと、
「消費主体」
という立場で育った、生きている、からだそうです。
ある事柄について主体的に動くとき、
「等価交換」
という概念、価値観が働く、乱暴に言ってしまうと、
「それやって何の意味があるの?」
ということです。
自分のすることが(この場合、勉強と労働)苦役であるなら、それに見合う報酬がないと「等価」にはならないということです。
消費行動に例えると
500円の商品は500円の価値があると納得するから、500円を払い購入するのです。
300円の価値しかないと思う人は
「高い!」
と思いその商品を買いません。
これが「等価」ということです。
詳しい論考は本書を読んで頂くとして、
授業放棄生徒、ニートは行動原理として、経済合理性に於ける市場原理が働いているということです。
つまり、すべての行動が
「損」「得」
感情で動くのです。
この点がワタクシにはグサリ!!ときました!!
本書でもこの論を
「自分探し」

「キャリアUP」
と称した
「転職くん」

「クレーマー」
などにも見受けられるとして著していますが、
どうでしょう?
世代的に1960年以降に出生した人って(もちろん例外もあるし年長者もいる)
「損」「得」で動いてますよね???
ニート、転職くん、クレーマーってそこらの世代以降からじゃない?
本書に戻ると、
だからニートは、貧乏だからIT長者を認めないのでは無く逆に、
ホリエモンとかデイトレーダーとかの、
IT長者などに於ける少ない投資(行動・労)の割合に於ける報酬の高さ、
そこのところのクレバーさに共感、支持という、ある種小児的な心理がある(IT長者たちも)ということです。
これは本当にグサリです。
ワタクシはニートではないがすべての行動、行為を無意識にせよ、
「損」「得」
で勘定し、選択し、決定しているのは否めない事実だ。
もしかしたら
「人間関係」
もそうかもしれない。
本書によると、これは
「社会」
がそのように成り立っているので、
ニートなどを非難する時にいわれる
「自己責任」
とひとくくりに非難することは出来ないし問題の解決にもならないと言っています。
経済合理性(市場原理)の社会に忠実に育ち、考え、必死に行動する結果としての授業放棄であり、ニートであるからです。
そう、1960年以降に出生した者すべての世代に当てはまると思うのはこの点です。
経済合理性の社会はそのころから育まれてきてはいないだろうか?
我々は幼いころから普通に忠実にこの
「社会」
に適応し、育ってきたに過ぎないのです。
では、
授業放棄
ニート
自分探し
転職くん
クレーマー

etc
の問題を良くないと思うならどうすれば良いか?
「社会」を変える。
では
「社会」とは一体なにか?