「行動」の原理は「恐れ」である、という仮定、否、メモ。
「ワタシ」の存在の時間性に於ける「未来」は未決定である。
「未決定」故、「私」の存在領域に於いての存在可能性を選ぶ。
コーヒーが飲める状況の「此処」に居る

コーヒーを「飲む」「飲まない」可能性が有る

コーヒーを「飲む」ことを選ぶ
つまり、「わたし」の存在という領域に於いて「ワタシ」の有り方は「自由」で或る。
しかし、「私」の存在の時間性の中に於いて、
そう「未来」に於いては「未決定」性を有しており、なにも「決定」的な
「ワタシの存在」
を有していない。
もしかしたら、コーヒーを「飲む」ことを選んでも飲めるとは限らない、ということ。
(自分で飲む前に他者に飲まれるとか、端に失敗する、こぼすとか)
「未決定」性、故、「私」は「未来」に、
つまり「わたし」と云う「存在」の有り方、現出に
「恐れ」
を抱く。
「幸せ」になりたい (ならないのも自由)

「幸せ」の存在可能性を選び、「行動」する

「幸せ」になれないかもしれない (未決定性)

「恐れ」を抱く (「不幸せ」は嫌ということ、コーヒーを飲みたいのに飲めないのは嫌ということ)

「幸せ」の決定性は無いが、「幸せ」の可能性も、また有る

「ワタシ」の「自由」に於いて、「幸せ」の存在可能性を選び、また「行動」する
まとめ
「私」の「存在」の時間性の中に於いて、
「未来」に企投する「行動」
「未決定」性を有する。
故に
「恐れ」という感情を抱くが、
「わたし」の存在領域に於いての存在可能性は無くならず
「ワタシ」の「存在」の基本構造はあくまでも
「自由」である。
ps 総ての「行動」は「未来」の不確実性、畏怖性、故かもしれない。
当たり前か。「未来」が決定、確実性を有するならば、「行動」しなくとも「決定」「確実」だし、故に「恐れ」も抱かない。