昨今の
自己利益
の追求とは
七つの大罪
の是認と言えなくはないか。

七つの大罪
・邪淫
・貪食
・貪欲
・怠惰
・憤怒
・羨望
・高慢

欲望」は人の行動の
源泉ではある、が
それが「」になる境界は
如何なる上に。
「物語」のひとつの規定ではあろう。
が、
「自己」の「利益」の「追求」であるからではなかろうか。
自己否定の契機。
自己の限界への配慮を、
自己の利益の追求よりも優先する。
自己の無益、無力を知るということに於いて、
自己の利益、有益さを知る、得る。
「七つの大罪」
は総て、自己の「肯定」に於ける自己の利益の「欲望」である。
宗教心も倫理観も行動規範も
「自己」に於ける
「自己」
が源泉である。
「汝自身を知れ」
とは古代ギリシアの賢人の格言と言われている。
知る
ことには、前提として「肯定」してしまっていては
永遠に「知る」得ない。
汝 = 自己
森羅万象、総ての認識、認知は
「自己」
を源泉とする、しか有り得ない。
(他者のこころ内はわからない、物理下のこころ内などもっとわからない)
「罪」
とは
「自己」
の不理解である、
否、
盲目的な「自己肯定」である。

即ち、
汝を知らずして行う行為は
これ「罪」である。
自らして、自らがわかっていないのだから、
その自らの「行い」もわかっていないこととなり、
それこそは
「罪」
ではないのか。
「わたしは間違っているのではないか?」
から。
psそして七つの大罪映画、「セブン」も。