twitメモ。ほぼ妄想である。
『妻子も父母も財宝も穀物も親族やそのほかすべての欲望までもすべて捨てて、犀の角のように、ただひとり歩め。』
これは厳しい。
総てを捨てられれば、喜びもなければ苦しみもない、のは当たり前。
たしかに道理だ。
唯独。
「人間」という概念を捨てるということと取れる。
実存的には動物や昆虫のように生存すれば良いということと同義ではないか。
概念を持たない生命には、喜も苦もありようがない。
「人間」から観れば、たしかに「楽」である。寂静である。
仏道の体系から観るに、「植物」や「菌」が至高の在り方に思える、ニルヴァーナに近い在り方に思える。
彼らには憂いも差別も喜びも妄想も無い。
しかし、「生命」である。
「認識」を是とし植物等を「生命」の体系から除外するならば、あまりにも「人間」的である。
「人間」的発想から始まり、「人間」を「人間」として成らしめている「もの」を捨てるとはどういうことか。
最後には「言葉」が残るし、「言葉」を超えた「体感」を是とするにしても、
やはり「人間」を捨てる、辞めると言うほかない、のではないか。
「人間」として存在する限り、救われないし答えもないし絶対もない。
宗教、思想、哲学、生活等に拠り所はない。
皮肉にもこれこそ「無常」ではないか?
まさしく、一切が苦。
「空」で在る。
「日」が「常」にあるのみ。
無常=日常