このTシャツのアートを手懸けた ” けいかみえいち ” の本作品に対するコメントを紹介致します。
 
『洗練の退屈さはあの日のデジャブとしての許容範囲として置き去りにしつつ、描くことの連鎖的興奮を選択。
描ける内に描いておけとばかりに、一連の作品群を急ぎ足に作画。
そこに宿る個性も信じ込まないで、批評性の俎上に載せつつ、というか基本エジプト風のイメージであることは明白なのだから特別にオリジナリティを捏造する必要もなくて、擬装的なレトリックを書き連ねる事の必然性もない。
現在の時点で新たに立ち上げられたイメージである、というところにしか意味を見出せないとしても、むしろそれで十分ではないのかと自己弁護。
描いてしまったことが根拠の無さを凌駕する描くことの根拠として機能し始めるとのトートロジー的な禅問答。
縋り付く先としては強固な安心感は稀薄だが、それだけに柔軟な対応可能性は濃厚に充満し、もはや言葉数による説明郡も必要ではない純粋に見た目の好き嫌いで判断される環境に晒されることの開き直りと覚悟のほどを。
だがそれは、語るべき言葉はいらない、語るべき言葉が無い、というのもまた言葉でしかない、という言葉でしかない、という言葉の累積でしかない。
描くは天然だが書くは意識的であり、繰り返されるテキストの積み重ねが、ある種の語彙の反復とループを巡り始めて、いつしか同じ景色の中で麻痺した感覚の甘さに溺れ前進よりも停滞の心地よさに飼い馴らされたマジックワードに乗って、語りの余韻で悦に入り、それどころか欲求のはずが義務に代わり、イメージとテキストは乖離気味でますます後付けの論理が横行して、あわてて取り繕うも、それが後付けなのだと気付いてしまい完全に把握してしまわないようにお茶を濁すと。
必ずしもイメージを見た後に添えられたテキストを読む必要はなくイメージをひたすら網膜的に消費しても問題はないが、テキストだけを吟味してイメージを軽んずることには問題がある。
絵描きの意識としてはテキストはイメージに従属すべきである。』
 
 
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