実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
- 2009年 12月 28日
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「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
を観る。
色々と考えさせられる。
安易に非難し、まとめられないが、この映画を私的には
子供達が時代の趨勢により(ひとつの流行)、革命ごっこをしていたら、
逆説的に時代に容認され、
本人達も気が付かないうちに、いつのまにか「ごっこ」が外れ、
「人」をも殺す「運動」となってしまった。
と解釈。
ものすごく批判を浴びそうだが、
「子供達」
が起こしたという解釈はあながち外れていないと思う(20代前半多いし)。
オーム真理教事件とも比較されたりもするのだろうか?
このふたつの事件にはある種の「幼」さが感じられる。
赤軍もオームも首謀者達は高学歴である。
が、
映画の赤軍を観ていても思うのだが、結構めちゃくちゃの論理で
「総括」
を求めたりする。
そして、皆、
「青く」
て
「純」
である。
実は「悪意」がないところが怖い。
そう、「人」は「善意」から人を「殺」したりするのである。
良かれ悪かれ、
時代に容認され、閉塞的な環境で「外」がなくなると、
「人」はどんな飛躍した考えも行動も容易くしてしまうのだろう。
映画のラスト、16歳の少年が叫ぶ
「勇気がなかっただけだろう!!」
というセリフに若松監督の総括があると思う。
しかし、
「敗北の美談」
もしくは
「若気の至り」
のような扱いは、私はしない。
ps 190分近い長く重いテーマの映画だが、飽きずに最後まで観れるところが「映画」として凄いと思う。